大滝詠一さん
PROFILE:大瀧詠一(大瀧栄一)
1947年7月28日
岩手県奥州市江刺梁川に生まれる
早稲田大学第二文学部(中退)
その後
ハッピーエンド・で活動
(1969年~1972年)
解散後
ソロ活動を始めかつての仲間
松本隆らと組んで
名盤
ロングバケーションが
誕生するその後の活躍は
言うまでも無い。
はっぴいえんど
「ヴァレンタイン・ブルー」
は翌1970年はっぴいえんどに改名し、
アルバム
「はっぴいえんど」でデビュー
代表曲
(風をあつめて)
この時のメンバーとの出会いが
その後の大瀧詠一に
深く影響する事に成る
メンバー
細野晴臣
松本隆
鈴木茂
山下達郎との出会い
1972年発売の
山下達郎の自主制作アルバム
『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』
偶然目にした、アルバムを聞いた
大滝詠一は
アルバムジャケットに書かれた
住所に連絡し山下達郎を自宅に招いた
その時から二人の関係が始まる
山下達郎のメジャーデビューの
キッカケを作ったのは大瀧詠一
だった、
その後二人の関係は
大滝詠一の亡くなるまでつづく
ナイアガラトライアングル
1974年9月に
自らが作詞・作曲・編集・
プロデュース・などをこなす
プライベートレーベル
「ナイアガラ・レイベル」を設立し、
翌1975年には
はっぴいえんど解散後初となる
ソロアルバム
『NIAGAR AMOON』を発表。
ここから大滝詠一さんの
代名詞
ロングバケーション
が世に出る事になる。
A LONG VACTION
1981年3月に
「大滝詠一 名盤A LONG VACTION」
がリリース!
本当に、
ロング バケーションでした、
それからながいあいだ
新曲をリリースする事なく
時が流れた。
主に楽曲の提供を
する日々がつづいた、
松田聖子に提供した曲でシングル
「風立ちぬ」で初のチャート1位を記録。
その他にもありますが
ここでは割愛させていただきます。
大滝詠一「EIICI OHTAKI」サウンドトラック
私Ayato的にも大滝詠一さんの楽曲特集を
今度紹介したいと思います。楽しみにして頂けましたら
うれしいデス!
・EACH TIME・
最後のアルバム:「EACH TIME」
1984年のアルバム
大滝詠一はこのアルバムを持って
音楽制作活動の休止を決断。
1985年6月のはっぴいえんど
再結成ライブが
最後のライブへの出演となり、
同年11月を最後に
1997年まで新譜発表は途絶えた。
1984年オリジナル
1. 魔法の瞳
引用元:https://twitter.com/Virtual_chiaki
2. 夏のペーパーバック
3. 木の葉のスケッチ
4. 恋のナックルボール
5. 銀色のジェット
6. 1969年のドラッグレース
7. ガラス壜の中の船
8. ペパーミント・ブルー
9. レイクサイド ストーリー(大エンディングバージョン)
(LP盤だと1~5がA面、6~9がB面)
幸せな結末
大滝詠一さん、最後のシングル。
12月30日は
午後5時頃にスタジオから帰宅。
いつものように新聞で
東日本大震災関連の記事を
読み終え夕食までの間に
リンゴを食べようと
皮をむき始めて、
突然!!「ママ!ありがとう」
大声を発したという
奥様の静子さんが驚いて
大滝詠一の方を見ると
椅子にもたれ、
ぐったりしていたそうです。
救急車を待つ間に
心臓マッサージなど蘇生措置を
施したが、
そのまま帰らぬ人となった。
あまりにもあっけない最後
なんだかあの
(風をあつめて)
「ハッピーエンド」
の歌詞が浮かんで来るのは
私だけでしょうか。
今でもそこに居るようで
気ままな旅路を楽しむ永遠の
・ロングバケーション・
関連の記事:こちらから!
イーチ・オオタキ・まとめ
細野晴臣、大瀧詠一、
松本隆、鈴木茂によって
結成された「はっぴいえんど」
山下達郎、との出会い、
親交
ナイアガラトライアングル
独自レイベルの設立
LONG VACTION
長ーい永ーい休日!
「EACH TIME」
イイチ・オオタキ・メロディー
最後のアルバム
「EACH TIME」
幸せな結末
「最後のシングル」
突然の別れ。
大滝詠一さんの足跡を
簡単でわありますが
たどってまいりました、
あらためて大滝詠一さんの
非凡で探究心旺盛な事がわかり
あまりにも駆け足で、
走りぬけた生涯でした。
心からご冥福を祈ります。
ニッポン放送特番「大滝詠一 EACH TIME 深夜の試聴会」3/17放送、
「大滝詠一 EACH TIME 深夜の試聴会」が3月17日25:00より放送されます!
この機会に是非御視聴することを勧めたいと思い追記させていただきました
EACH TIME発売40周年を記念しての特別番組なので初めての人には特におすすめです!
どうぞお楽しみに!
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